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▼江戸吉原サイドメニュー
1.吉原以前 2.吉原誕生 3.吉原細見 4.大尽遊戯 5.花魁道中 6.手練手管 7.苦界十年 8.吉原刑罰
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7.苦界十年 … 遊女について3

年季奉公の女郎たち
「女郎に売られる」というが、当時幕府は人身売買を禁じていた。
よって吉原の遊女も公的には十年の年季奉公人、女衒に売られるか、誘拐されるかして、廊を自由に出ることは許されぬカゴの鳥の身となる。
運が良ければ愛する客がすべての前借金を精算のうえ「身請(みう)け」してくれるようなことも起こるが、長い場合には二十年間も廊の中で働かねばならなかった。
そうした遊女らの境涯を「苦界」と呼んで、廊に身を売ることを、「苦界に身を沈める」ともいった。

身請け
身請けの金額は、宝暦(一七五一から一七六四年)以前の最高級遊女であった太夫の場合、三百五十両とか太夫の体重と同じだけの重さの小判だったという例が残っている。
女衒に売られた場合の料金でも五十から百両であったから、格下の遊女を請け出す場合でもその代金と同額ぐらい必要だったかもしれない。

借金
遊女は禿から育てられたにせよ、女衒(ぜげん)に売られてきたにせよ、吉原に身を沈めた時点で借金を背負い、さらに衣類、調度品なども見世から借金をして揃え、住み替えとなるとその費用すら遊女が自分で持たなければならない。
稼ぎ高のある花魁はそれはそれで自分の身の回りの世話をしてくれる禿や振袖新造がいて、その費用をも面倒をみなければならない。
遊女は誰もが蟻地獄的借金地獄にはまっているのである。

年が明ける
遊女とはいえ奉公しているのだから「年が明ける」といって、十年勤めあげると基本的にはお役御免の晴れて自由の身の上となり、見世に並ばなくてもよくなる。
その後は本当に惚れ抜いた相手と所帯を持ったり、遣り手となって見世に残ったり、蹴転(けてん、けころ)や岡場所などでまた客を取り続けるなどした。

病に倒れて
遊女はだいたいが粗食でその時間帯も不規則になりやすい。
重労働であるうえ職業がら性病に犯される率も非常に高く、中には不治の病もあった。
妓楼によっては遊廓の外に養生施設を持っていたが、完治して再び見世に並ぶ遊女は百人に一人いるかいないかだったという。

投げ込み寺
今でも不夜城の賑わいを見せる吉原ソープランド街。
しかし、ちょっと目を転じてみると、ここら辺は決して桃源郷でないことがすぐにわかる。
浅草から三ノ輪あたりまでの一帯は浅草寺を筆頭に寺社の多いところで、日本堤の西端、現在の大関横丁交差点の近くには吉原ととくに縁の深い浄閑寺がある。
ここは通称・投げ込み寺と呼ばれているところ。
病死したり心中したり、あるいは折檻され若くして命を落とす遊女も多かった。
江戸時代、吉原の遊女の死亡記録を見ると、二十歳代の前半が一番多かった。
これは当時の平均寿命に比べても、極端に短い人生である。
遊女たちはもともとが身売りされた身の上なので、死んだら無縁仏として文字どおり寺に投げ込まれた。
浄閑寺には二万人もの遊女が葬られ、悲惨な生涯を送った遊女たちの供養塔が今でもさびしくたたずんでいる。

差別と吉原
吉原は、差別された土地でもあった。
士農工商などと過去に勝手に定められた身分のために、今もなお社会的に差別され続けている人々がいる。
吉原の者たちもまた、そんな人々なのだ。
吉原の遊女たちは、遊廓を出られれば町人として暮らしてゆける。
ところが吉原で働く男たちは、「四民の下」とされ、吉原から去ったのちも差別を受けたのである。
当時、吉原者と同じように身分差別をうけた人々の中には、その身分から抜け出せる可能性のある人と、子孫までがずっと同じ身分差別を受けなくてはならない人々がいた。
そんな人々は、娘が生まれた時、吉原の女衒に娘を託したのである。
何人もの女衒を通し、その出身を不明にして買われた娘は、遊女にこそなるが、運良く吉原を出ることができれば、差別身分から抜け出し、町人となることができたのである。

遊廓のもうひとつの顔
遊廓というのは、忍者活動の情報集めにも貢献しいる。
身分の上下なく日々大勢の客が来るのだから、いろんな情報が布団の中で寝物語として交わされる。
そんな時、「お庭番」たちは屋根裏で息を潜めて聞いているのである。
そして、そのネタで幕府と取引きしながら、遊廓は自治を守っていたのである。
また、遊廓は「銭方平次」などといった「岡っ引き」たちに給料を支給していた。
つまり、外の世界に対しては、自分たちの息のかかった「岡っ引き」に目を配らせているのである。

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