5.花魁道中 … 遊女について1 |
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遊女について |
風俗店では女の子は商品、当然お値段にも差がつく。
江戸吉原でもそれは同じで、高級、中級、下級と見世も分かれており、さらに遊女にも階級が設けられていた。
初期の頃は太夫(たゆう)、格子(こうし)、端(はし)の三階級しかなかったものが、のちに格子の下に散茶(さんちゃ)、梅茶(うめちゃ)が設けられ、さらに太夫、格子が消えて、散茶が呼出し、昼三(ちゅうさん)、付廻(つけまわし)に分かれ……と、状況に応じて改変が繰り返されていった。
大まかにいえば、花魁(おいらん)とか傾城(けいせい)とか呼ばれるのが上級女郎、その下が座敷持ちと部屋持ちのベテラン、そして新造(しんぞう)という若手に続き、局見世(つぼねみせ)が最下級の安女郎となる。
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遊女の地位 |
江戸時代の遊女は普通の女性を「地女」と呼んで馬鹿にしていた。
男の方も遊女を地女の上に見ていたのである。
遊女は売春を生業にしていたのだが、今の売春とは大分様子が違い、「金さえ払えばいい」というものではなかった。
江戸という街は独身の男であふれており、一生独身で通す人の方がはるかに多かった。
下級の職人や商家の奉公人は結婚などできないのが当り前といったところである。
その上、頑張ってお金を貯めても、とてもじゃないが吉原は高嶺の花。
それほど憧れの場所であり、そこにいるのは観音様というでもいうべき女性だったのである。
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廓の女たち |
新造付き呼出し |
最上級の遊女で、揚代は一両一分。 |
呼出し昼三 |
昼間の揚代が三分の上級女郎。 |
座敷持ち |
自分用と客用の部屋を持ち、揚代は二分。
ここまでが花魁と呼ばれる。 |
部屋持ち新造 |
若い遊女で揚代は一分。 |
振袖新造 |
禿上がりの見習い遊女で客はとらない。
赤い振袖姿。 |
ばんとう新造 |
年季明け後も妓楼にいる花魁の世話役。 |
禿(かむろ) |
六から十四歳の見習い少女。
花魁の身の回りの雑用をこなしている。
この間、禿はさまざまな稽古事を積み、優秀な子が一四歳頃から
「新造(しんぞう)」と呼ばれる花魁候補生となる。
新造のなかでもさらに優秀な女性だけが、十七、八歳で花魁になれた。 |
遣手(やりて) |
遊女、禿の監督や客扱の責任者。 |
茶屋女房 |
引手茶屋の女房。遊客の案内・世話役。 |
茶屋下女 |
引手茶屋の下働き。 |
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花魁道中 |
吉原風景でとりわけ印象的なのが花魁道中。
美しく着飾った遊女が、禿や新造などの大勢のとりまきを引き連れて、三枚歯の塗下駄で内八文字を踏みながらゆっくりゆっくり進んで行く。
吉原のメインストリートである仲の町を練り歩くこのパフォーマンスは、花魁と呼ばれるトップクラスの遊女だけに許される特権だった。
花魁というのは、昔は太夫、新吉原では呼出しと呼ばれていた遊女の通称で、周囲の者が「おいらの太夫」と呼んでいたところから、オイランになったという説もある。
花魁と呼ばれるのはごく限られた遊女でエリート中のエリート。
大勢の廊の使用人はおろか、雇い主までが、サマ付けで呼ぶほどに大切にされた。
花魁道中はまさに彼女らが廊で全盛に咲き誇るさまを象徴するデモンストレーションなのである。
その個性的な人の集まりは、様々な人間模様を作り出し、小説、錦絵、芝居など江戸文化や流行が生まれている。
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吉原と花見 |
5月の菖蒲、7月の玉菊灯籠、8月の俄祭、春の花見は吉原のメインイベントである。
大門を入ったところの吉原の大通り仲之町に、毎年春になると満開の桜を植えた。
待っている客を迎えに行く花魁道中は桜と美しさを競う。
茶屋は提灯(ぼんぼり)を飾り、不夜城吉原の夜桜見物にそなえる。
これらの日は吉原を目的としない人々にも解放された。
吉原から江戸っ子へのサ−ビスである。
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処女の花魁 |
身分制度がまだ息づいていた江戸時代、花魁というのも特殊な身分のひとつであった。
最高級の花魁になると品格のある美女の上に、子供の時から特別に育てられ、最高の教養を授けられた非常な知識人なのである。
人の気をそらさない話術、楽しませるための教養として和歌、能、囲碁・将棋、茶道、華道、香道、絵、書などを見事にこなす超一流のホステスであるといえる。
彼女らは、身体を売るといいながら、実際は、自分が客を気に入らなければ断ってもかまわなかった。
高瀬太夫という有名な花魁などは、誰が来ても「いやじゃわいな」と言いつづけ、一生処女だったという。
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衣装 |
花魁のあの衣装。
帯を前に締め、簪を無数に差すサイケな衣装は、自分達が異形者である、特別であることを誇示している。
幕府の決まりには従わない、というポーズなのである。
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