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▼世界の売春サイドメニュー
1.国際連合 2.アジア売春事情 3.世界売春事情

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2.アジア売春事情

■中国
昔の中国は一夫多妻制であったため、男はわざわざ売春宿に行かなくとも女性を手にいれることが出来た。
そのため、はっきりとした商業的な売春はなかったといわれている。ヨーロッパ人がこの地にやって来てから売春宿が一気に増え、中国人自身も行くようになった。
上海は貧民窟の飾り窓などがそれであるが、今では姿を消し、中国に売春は存在しないということになっている。
しかし、1980年代の経済的自由主義に伴い、長く休止状態にあった商業的性産業が復活したのも事実だし、人民日報の報告によれば、四川省だけでも1万人以上の女性と子どもたちが毎年誘拐されたり売り飛ばされたりしているのもまた事実である。
そのうえ、上海の和平飯店にはとんでもないスタイル抜群のチャイナドレス高級コールガールが出没するし、雲南省の省都、昆明の某賓館の前には厚化粧の女がうろうろし、成金万元戸がこれを買っている。
しかしこれは、中国の法律によれば、売春は死罪に当る重罪という訳で、連中も命賭けである。
毎年のように売春の一斉摘発、一斉裁判、一斉処刑の報道が日本でもされているが、それでも人民は懲りないらしい。
男は性欲のために、女は金欲のために日々命をかけているのだ。

シルクロード
中国シルクロードの奥地に行くとだいぶ様子が違う。
そこはトルコ系ウィグル人の自治区で住んでいる人間が違うのだ。
もっとも彼等はイスラム教徒であり、色事には厳しいはずだ。 しかし、その一方で彼等は中国人でもある。
無論売春は禁止だが、社会主義の理念がかえって宗教的足かせをゆるめているといった様子なのだ。
要するにここにもやっぱり売春はある。 しかしその客が少々変わっている。
パキスタンとの国境の町カシュガルは昔ながらのオアシスであるが、冬の間はカラコルム山間は深い雪に閉ざされ、国境フンジェラーブは閉鎖されている。
ところが六月頃に国境が開くと待ってましたとばかりに一斉にパキスタン人が雪崩れ込み、カシュガルの女を買い、大麻を吸いまくるということだ。従って、ここでのパキスタン人の印象は非常に悪い。
パキスタンも同じくイスラム原理主義であるから男女関係にはたいへん厳しい。
そのため彼らにしてみれば、出稼ぎ売春にうって出るといった感じなのであろう。

■台湾
台湾では4万から6万人のこどもたちが、地方の男たちや訪れたアジアのビジネスマンたち相手に売春をしている。
地方の産業には長い歴史があり、台湾は何十年も日本人の買春ツアーの目的地となってきた。
売春婦のほとんどが、文化的にまた経済的に社会から疎外された原住民の少女たちである。

■ベトナム
ホーチミン市(旧サイゴン)では、20年前のサイゴン解放後、売春といい麻薬中毒といい、エイズ流行の2大悪が大いにはばを利かせていた。
さらには失業問題を抱える中、事態は深刻化するばかり。
国内総生産の3割を担っているホーチミン市には全国の7割の売春婦5万人と23%に当たる2万人の麻薬患者がいる。
1992年にはほとんどなかったエイズ患者、感染者が、94年には麻薬患者のセンター入所者の3分の2以上がHIV感染者になるほどであった。
ベトナムでも幼児売春は増加の傾向にある。
規制緩和や経済の自由化で、訪れるビジネスマンや旅行者が増えた結果である。
約6万人いる売春婦のうち10%近くは16歳以下、18歳以下の少女は5人のうち1人にもなるという。
香港、シンガポール、台湾から来るビジネスマンの多くは、処女を買うことは仕事の成功に役立ち、若返りや長生き、精力増強をもたらすと信じている。
その上、エイズ蔓延の中、少女だったらまさか感染していないだろうという考えから買うようである。
外国人に処女だけを斡旋あっせんする組織もできている。

■カンボジア
内戦の傷痕を残すカンボジア。
ベトナムの占領下にあった戦争により、1970年代、大量の殺人が行われ、家族も含めて、大部分の政治的、社会的施設が故意に破壊され、国家は増え続けるセックス産業の害に悩まされつづけている。
プノンペンの性産業で働く女性は1991年約六千人だったが、1992年末には二万人以上に。
これは、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の駐留やタイ人ビジネスマンの駐在など、外国人入国者数がグンと増えた結果、カンボジア・リエルよりも価値の高いタイ・バーツや米ドル目当ての売春が増加したからである。
PKOで平和協力しにいった国連兵のプノンペン在住によって、カンボジアの性産業が急成長したというから皮肉。
プノンペンは特に少女売春が盛んで、売春婦の35%が18歳未満だという。
もっとも、プノンペンの二大売春地帯に住む少女たちは本当の年齢を明かすことを禁じられているが。
ユニセフの調査によれば、多くの者は、家族や隣人を含む知り合いにだまされたり売り飛ばされたりして売春婦になっている。
処女が一番高額で、失うと同時に値段は下がる。 エイズになれば追い出される。 
隣国ベトナムでのHIV感染率が、カンボジアに近い南部に圧倒的に偏ってきている。
世界保健機構(WHO)によると、カンボジアでは急速にエイズが死因の大きなひとつになりつつというのも笑えない話しである

■フィリピン
売春は禁止され、売春業者は厳罰に処せられるし、客自体も起訴される。 あくまでも表向きは。
街娼はあまりいないが、酒場では娘がビールと共に自分を売ったりしている。
他にも賭博場やダンスホールなどを利用し客をとり、部屋へ上がる。また、多くの女性が海外の性産業で働いている。
子どもの売買春も多く、少年も少女も6万人から10万人が児童売春を行っている、というか行わさせられている。
彼らの大半はストリート・チルドレンで、その数は売春婦の総数の35%にのぼる。旅行者と軍隊が客の約40%をしめる。
フィリピン政府は、子どもたちに性的虐待をした者への死刑の導入を検討しているので、命が惜しかったら18歳未満の少年少女には近寄らないこと。 天国から一気に地獄にまっさかさま、なんてなりかねない。
東南アジア、特にフィリピンの売春婦には敬虔なクリスチャンが多く、売春婦に堕ちて(?)からも神への信仰心は捨て去ることはない。
戒律の厳しいカソリック信者でありながら、なぜ神の禁じられた売春に身をおとすのか。神は同時に困っている者への献身を求めてる。
彼女たちの身近にいる困っている者たちといえば身内にほかならない。
貧困にあえぎ苦しんでいる身内のために彼女たちは敢えて自身の身体を捧げるのである。

■シンガポール
清潔・潔癖な国家として知られるシンガポール。
高層ビルが立ち並ぶ町並みは東京のオフィス街と変わらない。
そして、新宿は歌舞伎町のような地域ももちろんある。
場所は当地ナショナルスタジアム東側に広がるGaylang地区一帯。
シンガポールでは売春は合法化されておりこの一帯のみが政府公認である。
但し、商業的宣伝が禁止されている為、ネオンサイン、公衆電話内のチラシ等は一切無い。
赤線地帯はインド街の奥にあり、一本の狭い通りで、売春宿が連なっている。
客は戸口で中を覗いて良い女の子を探す。
路地ではいかさまギャンブルが横行している。
中には綺麗な美女が路地や空き地にたむろしたり、部屋の中でポーズをとっていて、こりゃいいやと思いきや何とオカマ専門の地域だったなどということもあるので注意が必要。
ビル内にある、スパ(SPA)と呼ばれるサウナ付きマッサージ・パーラはマッサージと共に、客の要望で売春もやっている。

■インドネシア
売春婦は登録制。
1995年1月、社会情勢省の売春婦更生長が試算したところによれば、インドネシアの71281人の登録された売春婦の内60%は15歳から20歳であるという。
近年では、街頭での子どもたちの売春も増加している。
インドネシアの性産業は大規模である。 中でもスラバヤは有名。
ここの客はインドネシア人であり、外国人客はあまりいない。
バリ島ではその買春客の1割強が他のアジア人や白人である。
一方、クタの買春客の半分は外国人である。
料金の高い所の客は主に日本人、シンガポール人、台湾人、香港人などのアジア人がほとんど。
また、バリ島は同性愛者の買春旅行先としても知られている。
インドネシアに来る男性同性愛者の買春客の42%はヨーロッパ人で、21%がオーストラリア人、それに、アメリカ人、日本人と続く。
一般に、売買春旅行先として人気のあったタイでのエイズ大流行が問題となってから、すでに性産業の発達しているインドネシアが次の目的地として注目を集めている。

■パプア・ニューギニア
1989年に観光産業開発5カ年計画を発表したものの、政治不安定のため年間外国人入国者数は3分の2に落ち込んだ。
外国人入国者の半数がオーストラリア人であり、ほとんどの買春客はオーストラリア人である。
パプア・ニューギニアも同性愛者の旅行先として知られている。

■インド
インドの歴史は古い。 もちろん性産業も一筋縄でいかないほどややこしい。
インドの性産業は、何世紀もの間インド社会に根づいてきた。
売春婦たちは国王の遠征隊と行動を共にし、戦士たちの相手を務めてきた。
紀元前324年〜300年の時代には、皇帝の護身役や教養係として仕えていた売春婦の存在が知られている。
アレキサンダー帝国の時代には、少女たちはしばしば売り物として扱われ売春の盛んな場所もあった。
インドでもっとも栄華を極めた時代(1336〜1565年)には売春寺院があったと伝えられている。
1953年1月、インドは「人身売買の抑圧および防止のための協約」加盟国となった。
さらに1958年には「婦女子売春に関する法律」が公布され、これにより、理論上インドには売春はないということになっている。
しかし、女性歌手の集団などのかくれみのの元に、あいかわらず10万人もの売春婦が以前と変わらず商売は続けられている。
児童売春も増加中で、売春婦全体の約20〜30パーセントが子どもたちである。
インド国内のみならずネパールやバングラデシュからボンベイやカルカッタの売春宿へと売られる女性や子どもが後をたえない。
1996年、ボンベイ警察はインドで最大の売春宿の手入れを敢行し、400人以上の女性と子どもを検挙、「救出」した。 うち218人はネパールから送られた女性や子どもたちであった。

ボンベイのゲージ
ボンベイは港町で、インド最大の商業都市である。
ガイドブックなどからは削除されているが、ここには売春地域もあり、ゲージと呼ばれている。
ゲージとは鉄格子の扉のことで娼婦達はその中から客を誘う。

カルカッタのリキシャー
リキシャーとは人力車のことでインドのタクシーのこと。
この運転手は土産屋への客引きやポン引きも兼ねているので、うっかりついていってあり金全部吸い取られることもあるので注意。
貴重品や大金は持たずに乗るのに越したことはないが、料金が足りなかったり、チップをケチったりすると今度は帰ってこれなくなるかも。
また、カルカッタには、アジアの中でも最悪と言われる巨大な売春街・ソナガシがあることでも有名。

売春カースト
インドは今だにカースト制という身分差別の習慣が残っている国である。
そして、やっぱりというか、案の定、売春カーストというのも存在するのだ。
かつてお釈迦様が生まれたと言われるブッダガヤ近辺にそれ専用の村があり、女は子供のうちから売春以外の生業を許されないという。
娼婦の値段はたったの2ルピー、日本円で10円程度。
インド十億の民の最下層カーストで日夜体を売ってささやかな生計を立てているのである。

寺院の売春婦
インドには寺院に帰属する売春婦デーヴァダシーという人々が存在する。
デーヴァダシーは寺院に奉納される少女のことで、そのほとんどは肉親によってなされる。
一度奉納された少女は、結婚が禁止され、思春期になると処女を捧げる儀式がとり行われる。
その相手は僧侶であったり、地域の有力者であったりする。
デーヴァダシーは宗教を隠れ蓑にした売春であり、今でもなお、一年に5000人の少女たちが加わっている。

■ネパール
ヒンドゥー教を国教としている国である。
町の至る所に見られるリンガー(男根)や、どぎつい古代遺跡の彫刻(男女交合歓喜像など)をよそに、ことのほか性的に厳しいのがこの国の特徴だ。
女の子と話すことさえ許されないというから、売春などもってのほかかといえばそうでもないのがインドの奥の深さ。
カトマンドゥ周辺には少ないながらも馬屋のような売春宿が何件かあり、薄いベットで少女とジキジキできるという。
ちなみに「ジキジキ」とは東は東南アジアから西は中近東まで通じる性交を指す国際共通俗語。
ネパールは国の大部分が山岳地帯で天然資源も乏しく農業でさえままならない。
ましてや、工業など望むべくもなく、必然的に世界最貧国の名に甘んじてしまっているため、少女売春があったとしても無理からぬことかもしれない。

■バングラデシュ、パキスタン
こちらはイスラム教の国だけあってセックス関係には相当に厳しい。
男女は結婚するまで異性と口もきけない上に、その結婚相手でさえ、中央の結婚センターが決定するのだ。
従って、結婚式が終わるまで相手の顔も見ることができないというとてつもなくキビシイ状況にある。
こんな国である故、恐らく組織的な売春はないと考えられている。
なにしろ、さらに古式に乗っ取った結婚では新婦が処女でなかった場合、親族はその女を撲殺しても良いとの社会規範があり、同じイスラム原理主義のイランなどでは実際に毎年何人かの女が殺されているというから恐ろしい。
わざわざ処女膜再生手術を受けにトルコに渡る女性もいるというから、とてもじゃないが売春が出来る状況ではない……なんてこともない。
バングラデシュでは子どもの売春が増加しているのだ。
「トウィード・フェロゼ(1996年3月号のダッカ スター)」によれば、現在ダッカだけで5000人の子どもたちが売春をしている。
約2000人は認可を受けた売春宿で働いていて、他は街頭で働く。
毎月200人から400人ものベンガル人の少女たちがインドおよびパキスタンに売り飛ばされているという。
少女たちの多くは高給を稼げるとだまされて金持ちや売春営業者などに、年齢や容貌に応じて、1000ドルから2000ドルという値段で売られていく。
誘拐も頻繁に起こっている。

■スリランカ
スリランカの性産業は他のアジアの国々より小さい。
しかし、小児愛者の旅行先として知られ、幼児売春の規模はタイやフィリピンのそれより大きいとさえみられ、今も増加中である。
中でも少年売春が盛んで、スリランカの第1エイズ感染者はビーチボーイと呼ばれる少年売春夫であった。約2万人の少年が島のビーチ・リゾートで、男の旅行者たちのお相手をつとめるのである。
国全体では約3万人の子どもの売春婦がいるが、1970年代にやってくる旅行者が急激に増加した結果だと考えられている。
もちろん違法で、外国人逮捕者も多くでている。

■タイ
タイをはじめとする東南アジアの上座部仏教では、「出家」は男子の通過儀礼の一種で「出家で親孝行ができる」と考えられている。
そしてタイの農村では、「出家できない女性は経済的に親を楽にさせるのが親孝行」であり、現実に就業機会の不足や賃金の男女格差が大きいこともあって「親孝行」は女性の大きな負担になっており、女性を売春に追い込む主要な原因にすらなっている。
その上、タイはベトナム戦争中にアメリカ兵の保養地として観光業が栄え、当然のごとく風俗産業も発達した。
その結果、マッサージ・パーラ、ゴーゴーバー、一日ワイフ、安宿の売春婦など様々な形態の売春が行われている。

マッサージ・パーラ(置屋)
日本のソープランドに類するところで、ガラスで仕切られたステージの上に20〜50人の女の子がひな人形のように座っているので、客は番号で女の子を指名する。
日本人の感覚からすれば、高いほうが可愛いと考えそうなものだが、ここでは違う。
つまり、処女が一番高く、一回、二回と商売を重ねるに従って値段はどんどん下がる。
従って、絶世の美女が一番安かったりすることさえあるのだ。
これは、「何事も新しいほどいい」という華僑独特の価値観を反映している。

ゴーゴーバー
ステージの高台の上で半裸身の女性がゴーゴーを踊っていて、客は好みの女の子がいたら呼んでチップや飲み物をあげる店である。
夜はまともに営業するが、昼(客のいないとき)はぼったくりバーや売春専門になる。

ポン引き
タイ南部の都市で旅行者などは路上で、ホテルで、タクシーでと、ところかまわずポン引きにつきまとわれる。
そこでは女の子を24時間貸し出している。
また宿によっては売春婦がフロントにたむろし、夜になると客部屋のドアをひっきりなしに叩く。


少女買春
タイでは少女買春が盛んである。
これは「処女とセックスすると長生きできるぜ!」という迷信ゆえ、タイにはもともとそうしたマーケットがあったのだが、それに拍車をかけたのが経済的発展を遂げた西欧諸国、そして日本からの買春ツアーのお歴々である。
1980年代末、児童売買シンジゲートはタイ北部で暗躍していた。
北部地域はバンコク周辺のめざましい経済発展からはるか後方に取り残された土地。
そこに住むタイ人もいわゆる山岳民族も、貧困のため、小学校卒業と同時に子供を売りに出したのである。


バンコク、チャイナタウンの旅社街
安い宿、中華街独特の旨くて安い屋台料理、ひしめくように並ぶ雑貨屋、ありとあらゆる麻薬商の類い、そして、世界にも例を見ないほどチープな売春宿。
人間のあらゆる欲望がいっぺんに満たされる混沌のチャイナタウン。
夜半過ぎには、どこからともなくケバい女が周辺をうろうろし出し、目が会うと片言の英語や時には日本語で話しかけてくるが、ここの連中は大抵ビルマ山岳地方から来たごつい顔立ちの娼婦で、日本人が暗い夜道に化かされて買って、後で後悔したなんていうのは良く聞く話し。
さらにこうした女が初めから宿についている場合も多く、夜中に娼婦たちがドアをひっきりなしにノックするのでとても眠れたものではない。


冷気茶室
冷気茶室と呼ばれるものもあるが、このシステムを一言で説明するのは大変に難しい。
安食堂兼、雀荘兼、コミュニティーサロン兼、売春宿といったところだろうか。
とにかく汚い路地裏の中でも一層汚くボロボロのビルの二階にあることが多い。
中に入ると暑いバンコクにあっては大変有り難い冷房がかかっていて、中国人の翁がソファーでだらしなく横になっている。
奥の部屋に入るとやはりじいさん達が麻雀に夢中になっていたり、鍋を囲んで談笑したりしている。
さらに奥には中国の寝台車のコンパートメントよろしく仕切られた個室があって、気が向いたら、そこで売春行為に及ぶという訳だ。
女は概して十代半ばの若い子が多く、まるで「飴を買ってくれ」とおねだりをしているように「私を買ってくれ」とくる。
別に女を買わなくてもビールでも飲みながら涼んで帰れば文句も言われない。
中国人華僑独特の価値観と生活観がこれまた中国人独特のごちゃまぜ状態になっている奇妙な空間がこの茶室なのだ。
しかし悪質な茶室の中にはラオス、ミャンマーから誘拐してきた十三、四の少女をほぼ監禁状態にして売春させているケースもあり、最悪のケースでは、少女達をシンナー中毒にしてからろくに食事も与えず、ただ同然で働かせているものもある。
そんな事態を憂慮して最近タイ警察が茶室の一斉摘発に乗り出したがあまり芳しい結果は出ていない。

タイの女性
タイでマッサージと言えば大抵は売春風呂のことを指すが勿論伝統的なタイマッサージをする店もある。
しかし、そういう普通の店でも相手が日本人(金持ちでスケベな外国人)と見れば、女の子が即座に娼婦へと変身する場合もある。
男性諸君は余程警戒していないと、あっというまに相手のペースに持っていかれてしまう。
マッサージだけでなく、美容院、パブ、カラオケ、さらに、デパートの売り子など、普通の女の子がいとも簡単に売春してしまうのがこの国の奇妙な所でもある。
小学生の女の子の半数が「売春してもいい」と答えるのがタイという国。

パッポン通り
バンコクにはアジア最大の歓楽街とうたわれるパッポン通りがあり、一年中常夏の色気を醸し出しているのだが、このパッポンという名前、実は中国人華僑パッポン氏に由来する。
ベトナム戦争の最中タイは米軍の駐留地となり大量の兵士が流れ込んだ。
そこにパッポンは目をつけ自分の所有地を巨大な風俗街にしてしまったのである。
これがその後タイが売春先進国との汚名を着せられる原因ともなっていると言われている。


華僑とタイ売春の関係
先述のパッポンさんの例のみならず、タイと売春の関係はもっと奥が深い。
どんな小さな地方部落に行っても必ず一件は置き屋があると言われているこの国で組織的にこの商売をしている者の多くは華僑である。
よく、タイ政府が売春を一斉に取り締まろうとしても絶対にうまくいかないと言われる。
こうした娼館の経営者はパッポンのような華僑資産家や、土地の名士だったりするため、連中がノーと言えば例え警察であろうと、首相であろうと文句は言えなくなるというのだ。
戦争の恩恵で東南アジア最大の経済大国となったタイであるが今だに政治、文化、正義より先に経済が先行し続けているきらいがある。
それが文化そのものであるという言われ方もあるかもしれない。
しかし、いずれにしてもあの巨大な高層ビルの背後にはイサーンや周辺諸国から来て、二百円そこそこで体を売る少女たちの影が見え隠れしているのだ。

タイの売春防止法
1908年、タイ国王は性病の氾濫を防ぐために『伝染病予防法』を制定、売春を合法化するとともに、売春の強制を禁止、三ケ月有効の売春許可証を発行するなどした。
ところが法律で売春婦を管理しようとしたが大した効果はなく、逆に犯罪増加を招いたことから、政府は1960年、伝染病予防法を撤廃、代わりに同年、『売春制圧法』を制定。
売春は違法行為となったが、バー・ナイトクラブ・ソープランド・冷気茶室(以前は少女管理売春の象徴的存在だった)・美容院・レストランと手を変え品を変え、形を変えて存続しつづけたのである。
1966年には『風俗産業法』が制定されたが、これは監督が行き届かなくなったセックス産業に対しての治安維持を目的としたものである。
1996年の改正により、それまでは日本と同じくセックス疑似行為(素股やフェラチオ、手コキやアナルなど)はOKとされていたものがNGになった。
また、売春周旋者に対する処罰が重くなっており、国外に女性を売春目的で周旋する国際人身売買の禁止や、売春させる相手が15歳以上18歳未満の場合と15歳未満の未成年者の場合には、本人が同意したかどうかに関わらずそれぞれ厳しく罰するなど一段と処罰が厳しくなっている。
さらに、買売春周旋者や管理売春者だけでなく、出版物に掲載されている求人広告や買売春施設の情報を掲載した印刷物・出版物なども買売春周旋と規定し、広い意味での買売春周旋を禁止している。
華僑の影があるかぎり、この法律もあってないようなものであるが。

麻薬と売春
タイ北部の村では教育も受けられず、仕事の機会もなく、食べるものもない。
麻薬中毒になり、娘を売って麻薬を買う父親も少なくない。
北タイ、ミャンマー、中国雲南省、ラオスにまたがる地域は「黄金の三角地帯」といわれ麻薬の産地である。
密輸ルートが多方に延び、世界のほとんどのヘロイン、アメリカの路上の80%の麻薬を生産しているといわれる。
最近では、タイの経済発展の影響もあり、タイより貧しい周辺の国々から、すなわち、タイ人よりも安いミャンマーや中国の少女たちが、この黄金の三角地帯を越えてタイに連れてこられていて、その数は増加の傾向にある。


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